大鍋でごちゃごちゃに炒めた感情や考え方を色んなお皿に盛り付けて、それを味わった人が描いた像がわたしである。
だから、振舞われ味わわれたわたしに嘘偽りはないけれども、鍋の中身を知る者もいない。
この子は人参が苦手だったな…あの子はお肉を多めに盛り付けよう…とかしているうちに、皿に盛られる料理が変わり過ぎて、自分でもわたしが誰だかわからなくなってしまっている。
恋愛に臆病でなかなか人と付き合えないと嘆くわたしも本当だけど、酒の勢いで刹那的な駆け引きを楽しむわたしも本当。
ルッキズムやセクシズムに反対するわたしも本当だけど、それは実は誰よりも見た目や性別の拘りを捨てられない自分が憎いからだ。
勉強することが大嫌いなわたしだけど、それでも一生勉強して生きていきたい。
結婚なんて馬鹿馬鹿しいと強気のわたしだけど、それは婚姻制度が不平等で不十分であるからにほかならない。
不治の病の母が心配で悲しくて涙が止まらないわたしも本当だけど、そんな日々にうんざりして苛つき悩む。
家族が大好きなわたしも本当だけど、解放されたいと願う夜がある。
生きているだけで価値があると謳うわたしも本当だけど、自分の人生となると話は別だ。
死の先には何もないと説くわたしも本当だけど、終焉はすなわち救いだ。
本当の私を理解してほしいわたしも本当だけど、このごちゃごちゃの鍋は絶対に覗かせたりしない。
ぜんぶが真実で、矛盾もない。
願わくば鍋ごとほおって、ぶちまけて、全てを終わらせたまえ。