人生はミュージカル

自戒と快楽の狭間で生きる夢見がち女による雑記

社会人1年目。人生初失恋して、仕事辞めて、祝生まれて1万日。

12月に弁護士登録してやっと社会人になって、数日でこの事務所を辞めなきゃと思った。

 

そこからの半年近くはほんっとうに地獄みたいな日々だったのよ。

自分は何のために弁護士になったのだろうと毎日悔しくて泣きながら帰っていた。

とはいえ、事件や依頼者のために働くということは時にやりがいも自信もあったし、

(4月に書いた日記はそういう気持ちで騙し騙し書いていた。)

近くで働く同期や先生、事務さんに恵まれていて1日も耐えられないというわけではなかったし、

やっと社会人になったのに一瞬で辞めちゃうなんて、応援してくれる家族や友達、恋人に顔向けできないような気持ちもあって、

辞める決心もつかず。

 

私はこのままスライムの沼に溺れて溶けて、弁護士バッジだけが水面に浮かぶ。

嫌だ!!!!

……でもそれも楽な生き方なのかな。

割り切っちゃえば、疲れないし、資格代くらいはもらえるし、コスパいいかも。

とは言え、こんな弁護士になるのがわかっていたらロースクールなんて行かなかった・・・。

しかも何もできない弁護士のままなら、コスパいいかなんてわからない。

毎日自問自答して、悩んで、その度になんか傷ついて、絶望した。

抜け出したいけど、職務経歴書に書けることは1つもないという紛れもない事実。

そして、就活時に聞いていた話と160度違うじゃんっていうやるせなさもあり、

なんかもう端的におかしくなっちゃってたと思う。

 

眠れないし、誰と何しても楽しくない。

励ましやアドバイスは全部違うもんって思うし、

自分がからっぽだからこそそう思われたくないという防衛本能が働いて人に棘を見せた。

色々限界だったんだよね。

 

で、ある日もうすんごい全てが無理になる出来事があって、本当にもう今日死のうって思ったの。当時は末期だったから。

もう自分が大事にしてるもの全部ぶち壊したくなって、多分すごく傷つけて、フラれた。笑笑

 

わたし、人生で初めてフラれたの。

人生で初めて恋が終わって泣いた。笑

寂しくても泣いたことはなかったもの(泣き虫のくせに)。

 

でもさ、その瞬間めちゃくちゃすっきりしたの。

いろんな感情がぶわーって出てきて、部屋の壁に吸い込まれていった。

それで最後に、素直にあぁ大好きだって思ったんだよね。

ほんと、最後にさ、時すでにお寿司なんだけど、完全にぐちゃぐちゃになってた心の化け物がいなくなって、ピンクに剥けた柔らかい恋心が顔を出したんだよ。

剥がれたてのカサブタみたいなダサくて柔らかい気持ちが顔を出したの。

相手に言いそうになって、堪えた。

さすがにね。笑笑

パンドラって多分箱を開けた時こんな気持ちだったよ〜!!(んなわけない。)

 

 

で、そこからよ。

あー自分、もう全部ないじゃんって。

自分では誤魔化してたけどここまできてたんだなーってしみじみし、

そりゃあぼろぼろだよ〜。

愛犬を抱いてひとしきり泣いたあとはさてとと立ち上がってストレッチ。

 

次の出勤日に事務所を辞めると言った。(はや!)

 

かくして1週間でわたしは恋人も仕事もなくなったわけだ!!!!笑

 

転職活動は細々していたけれど、次の職場も決まっていなかったから、

まあ……よく辞めたよね。笑笑

でも何とか修習時代の友人の紹介ですぐ素晴らしいご縁をいただいて、引き継ぎ期間に次の職場が見つかったのだ。

 

一刻も早く成長したかったから、事務所を辞めた次の日から今の事務所で働き出した。

我ながらせっかちな性格だ。

 

まあ、そんなこんなあって、

1ヶ月のうちに、

人生初失恋して、社会人1年目半年足らずで仕事やめて、次の事務所で働いて、生まれて10000日目を迎えた。

怒涛すぎる。

 

思えば、飼い殺されていた時の私って、

子どもだったし、他罰的だったし、なのに自虐的だった。めんどくさかったよー自分で自分が。

今は這い上がって、再び幸せだと言える。

全然空っぽじゃない。がんばってるなって思うし毎日が楽しい。

そんで、まあ、人生っていい時もあれば悪い時もあるよねってテヘペロできる。

(色んな人に迷惑かけたくせに…)

 

それでさ、元気になった今だからこそ、

耳を塞いでいた時のみんなの温かい言葉が思い出せれて沁みるんだ。

私って記憶力はいい方だから、もらった言葉はいつまでも覚えている。

頑張ろうって思うの。

今改めて背中を押されるんだよね。

 

今そばにいるひとも、あの時そばにいてくれた人も、みんなみんなにありがとうねって思う。

 

あの時の自分はそんなこと思えなかったからさ……。

 

27クラブへの入会期限は迫っているけれど、

10000日目を迎えた私の人生の目的は変わらずただ一つ。

 

多くの人を愛し、多くの人に愛されること!!!

 

ワーーイ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週のお題「爆発」

弁護士になった

最近わたしに足りていないのは持て余した感受性を表現する場所だった気がする。

若い頃は日記とか書くの大好きだったのに、大人になればなるほど自分の中に収めようとしちゃう。

 

でもでも、どんなに子供染みていたって、わたしはこういう文章が大好きだ。

プライドを捨てていろいろ書いちゃおうっと。

守秘義務に反しないようにしながら。

 

そう、守秘義務で思い出したんだけど、

私弁護士になりました。

 

あれだけ進級に苦しんだのに、

進級してみれば簡単で(怒られるぞ)(誰に)

意外とすんなり弁護士に(は)なれた。

 

これからどういう弁護士になるのかも含め、

色々考えながら日記みたいにつけられたらいいな。

 

弁護士になるまで、応援してくれてたみなさん、本当にありがとうね。

わたし既に弁護士は天職だと思っているので、はやいところみなさんのお役に立てる気がしています。

 

 

「鍋を覗かないで」

大鍋でごちゃごちゃに炒めた感情や考え方を色んなお皿に盛り付けて、それを味わった人が描いた像がわたしである。

だから、振舞われ味わわれたわたしに嘘偽りはないけれども、鍋の中身を知る者もいない。

 

この子は人参が苦手だったな…あの子はお肉を多めに盛り付けよう…とかしているうちに、皿に盛られる料理が変わり過ぎて、自分でもわたしが誰だかわからなくなってしまっている。

 

 

恋愛に臆病でなかなか人と付き合えないと嘆くわたしも本当だけど、酒の勢いで刹那的な駆け引きを楽しむわたしも本当。

ルッキズムやセクシズムに反対するわたしも本当だけど、それは実は誰よりも見た目や性別の拘りを捨てられない自分が憎いからだ。

勉強することが大嫌いなわたしだけど、それでも一生勉強して生きていきたい。

結婚なんて馬鹿馬鹿しいと強気のわたしだけど、それは婚姻制度が不平等で不十分であるからにほかならない。

不治の病の母が心配で悲しくて涙が止まらないわたしも本当だけど、そんな日々にうんざりして苛つき悩む。

家族が大好きなわたしも本当だけど、解放されたいと願う夜がある。

生きているだけで価値があると謳うわたしも本当だけど、自分の人生となると話は別だ。

死の先には何もないと説くわたしも本当だけど、終焉はすなわち救いだ。

本当の私を理解してほしいわたしも本当だけど、このごちゃごちゃの鍋は絶対に覗かせたりしない。

 

ぜんぶが真実で、矛盾もない。

 

願わくば鍋ごとほおって、ぶちまけて、全てを終わらせたまえ。

 

 

 

ロースクールを卒業しました。

今週のお題「卒業」

 

久しぶりに勢いで更新!

 

先日、ロースクールを卒業しました。

 

 

私の中で変化の潮を感じた3年間でした。

色々あってダブって1年長くいる羽目になったけど、そのおかげで自分の歪んだ価値観からの解放があったと思えば結果オーライかな(いくつか過去記事にあります)。

 

 

 

 

 

ー法とは、感情とは無縁のものであるー

 

わたしは学部入学以来、そう信じてきました。

 

そして、自分の情緒的な部分を克服したいとロースクールを志望するようになりました。

 

私は大学に入学する前は、直感的かつ直感を言葉にするのが得意で、自由に発言できる人でした。

だけど、法学部ではとにかく論理が重要視される…。そして学生の多くは論理性を求めるあまり、感情の表現や直感的な感想を馬鹿のものとして馬鹿にするようになっていました。

それは法律学の場面だけでなく、価値観として染み付いていて。

ちょっとした議論を交わすときには「あなたは感情的だ」と言った方の勝ち、といっても過言ではなかったように思えます。

 

ていうか、恥ずべきことですが、かくいう私もそうやって感情を馬鹿馬鹿しいものだと思い込んできました。ディベートにおいて、相手方の反論が感情的であれば、真意を探ろうとせず聞くに値しないと断じました。

そしてチームメイトに愚痴をこぼしました。「法律論と感情は切り話すべきなのに!」と。

 

私はそんな空気の中で生きていたので、自分の感情を恥じ、論理的思考力に渇いていました。

とにかく法律的な、論理的な知見を手に入れたくて、感情的だと思われたくなくて、ロースクールに入ったのです。

感情的な自分と対極にある法を克服してやろう…そんな気持ちでした(既に法律学に対する苦手意識ありすぎ!!)。

 

でも、私、ロースクールに3年通って気付いたんです。

「法とは感情とは無縁のものである」なんて嘘っぱちであると。

 

ある私の尊敬する先生は、授業において「素人的思考」をとても尊重していました。

そして私の「感情的な」素人思考を法的に分析し、問題提起をして下さるのです。

 

たとえば、こんな風でしょうか。

(授業とは異なる超初歩的な事例でやってみます。これなら法律知らない人もわかるかな?)

「何も事情を知らない看護師に、患者に恨みのある医師が薬であると称して毒薬を渡した。看護師は医師の指示を受けて患者に投薬し、患者は死亡した。(過失は考えないでね!)」

医師は直接殺人行為を行っていないから、殺人罪の正犯は成立しないのでしょうか。

この結論に対して、「医師に殺人罪が成立しないのはおかしい!」という直感、感情的な感想。

「では、そのためにはどの要件が問題になるでしょうか」

…と考えた時に、「医師は直接手を下さなくても『殺人』という行為をなしているのでは?」という実行行為の解釈の構築に繋がる。

 (この事例だともはや間接正犯が常識すぎて逆に分かりにくいかな。でも間接正犯って要はこういう風に生まれたよね。)

 

その時気付いたのです。

法は感情を実現するためにあるとも言える、と。

 

感情による恣意的判断を防止するという機能と、感情を実現する機能は両立します。

むしろ2つでセットなのだと。

 

 法的思考というのは、感情を論理的に説明するためのものではないでしょうか。

 

 

 

 

最近、各地裁において立て続けに強制性交等罪の無罪判決が出ています。

(個々の判決の是非は報道だけではわかりません。私はこの判決の是非については言及する気はありません。)

そして、それに対しては批判も出ています。それらの多くは「素人」による「感情的」な叫びです。

「なぜ抗拒不能であると認定されたのに、抗拒不能であったとの認識がないからって無罪なの?」

 

けれど、私のフォローしている法学部やロースクールの人達(面識のない人もたくさん)の少なくない人たちがその叫びを馬鹿にしているのが気になりました。

「故意がなければ無罪ということも知らずに感情的に批判するな」

「感情で判決が変われば法治国家ではない」

などなど。

 

学部時代の私はこれらに大いに頷いたことでしょう。

ですが、今は本当にそうだろか?と思います。

 

 

私たちがすべきなのは法的知見に基づかない意見を土俵から追い出すことではないはずです。

 

私たちは法律の知識があるならなおさら、素人感情に耳を傾けて、法的に再構築すべきではないのでしょうか。

そして、その上で議論すべきではないのでしょうか。

 

上述の「認識がないから無罪なんて!」という感情的な疑問は「故意がなくても有罪にしろ」ではなく、「故意の認定方法への疑問」とも捉えられます。

なぜ、性犯罪において故意の認定方法に疑問が出るのか…。

性犯罪という犯罪の故意認定においてどこまでの認識認容がその対象となるのか…或いはどのような事実をどのように評価するのか…これってまさに法的な問題ですよね。

素人が疑問に思うところを法的問題に昇華して議論する、または説明をする。

わたしはそれこそ法律を知る者が求められる姿だと思います。

 

 

 

 

 

わたしはロースクールの全過程を修了しました。それ自体は全然すごいことじゃないしまだなんの身分もないど素人にすぎません。

でも、勉強していればそれなりに法的な知識はつきます。

 

そしてそんな今、私は強く思います。

 

素人を置いていかない法律家になりたいと。

素人の感情を法的問題に昇華させて対話できる人になりたいと。

 

 

 

 

 

 

 

超ポジティブの私が鬱病になった話

この話、記録しておきたかったの〜〜。

 

昔から超が付くほどポジティブで、「悩みなさそう」「いつも笑顔だね」「そのポジティブ精神見習いたいわ」という言葉をイヤミとしても褒め言葉としても沢山頂いていた私。

 

が、鬱になった。

 

自分でもビックリだ〜〜アハハって言いたいところなんだけれど、当たり前ながら自覚があったし思い当たることがありまくった。

そして、根本的な原因は私自身にあったと今冷静になって思う。

 

とにかく、自分のキャラに執着しすぎていたのだ。

今まで経験したことの無いような悲しいことが沢山あったのに、くだらないプライドが邪魔をして友達に言えなかった。元気が無いことがバレたり心配されたりするのがくすぐったくて、無理をしてはしゃいでいた。

そんな一方で、1人で勉強しても自然と涙が出てくるくらいボロボロで、やるべきことに集中できない・努力ができない自分が許せずフラストレーションを溜め込んだ。

 

この自分の情けないプライドの存在に気づいた時、私は大学時代誤った自我を形成してしまったことを知った。

 

私は昔から自分のことを楽しい人間だと思っているし、そこは唯一私のお気に入りポイント。

 

ところが軽い気持ちで大学に入って、勉強ができなきゃ評価されない環境に身を置いて、楽しいだけの自分が無価値であることを悟った。

勿論周囲の人はそんな事言わないしこの悲しい悟りは誤りなのだけど、女子校の「楽しいが全て」な環境で「楽しい」を謳歌していた私は勉学が評価される場において、初めてコミュニティ内での劣等感を抱いたのだ。

 

勉強を頑張って初めて自分自身の楽しさ、面白さが評価されるのだと私は思い、賢い友人に置いていかれまいと苦手なりの付け焼き刃の勉強をしてきた。(楽しい自分にこだわり過ぎ笑)

 

それが、去年全部ダメになっちゃった。

 

「楽しい人だしやることはやる」という自分の存在がモチベーションだったのに、楽しくも面白くもない、すべき努力もできない。

私の原動力であった友人に置いていかれない!という目標ももはや遠く、苦しかった。

 

そんな中半年以上自分に起こった悲しい出来事と今の自分自身の劣等感と絶望感をなんとかなんとかなんとか誤魔化して生きていたら、これからの人生含む色んなものがいらなくなり、無気力になってしまった。

とにかく動きたくなくて、あらゆるものが馬鹿馬鹿しく無価値に思えて、学校に近づくと気分が悪くて、服屋で次の季節の服を見ると涙が出てきた(笑)この先人生が続いていくことが果てしなくて、溺れてるような気持ちだった。

 

私は若く死にたい願望はあるけれども、こんな尻すぼみで死にたいわけではない。

「やばいこのままじゃ死にかねない」

勇気を出してドキドキしながら病院にいったら、やっぱり黒だった。

 

友人に話せない私が先生に話せるわけはなく、話そうとすると胸も息もつまったが、少しだけ話したら先生は優しかった(商売上当たり前のことだけど…)。でもその時に「あ、普通の人って優しいわ」って気づいた。

 

頭ではわかっていたけど、自分の自己評価の低さ故に「こんな自分は見せられない、幻滅される」と思ってばかりだったことに気付いた。

この畏れも友人を敬愛するゆえだったんだけどね(笑)

 

まだプライドは高いので、この病気のことも色んな悲しかった出来事もほとんど話していない。けど、皆今まで通り仲良くしてくれてるし、それが答えなんだ。

 

 

最近は良い意味で諦めがついた。

何事も他人と比べずに自分のやりたいようにやる。自分のやりたいことは真摯にがんばる。

劣等感でなく、自分の内から湧き上がる情熱や悔しさを努力の原動力として大事にしたいってちゃんと思えるようになった。

 

大学時代は誤った自我を形成してしまったけれど、それ自体に後悔はないし、むしろよかったと思っている。

周りの尊敬できる友人の存在に引っ張られ、夢の登山口くらいまでは来ることが出来た。多分大学時代からこんなに柔軟に考えることが出来たら、猪突猛進で意味不明な道にたどり着いてたよ、私(笑)

多分ちょうどその無理な登山計画を矯正するタイミングが来たんだと思う。

 

素直にこうやって思えることが今凄く、嬉しいし幸せ。

ぶっちゃけ通院サボってるけど、こうやって

今幸せな気持ちで勉強したりできるならもう大丈夫なんじゃないかって思うんだよね。

 

ここで記録したらきっとまた挫けた時に読み返せる。

だから、書きたかったんだ(*^^*)

 

 

丁寧に生きる!2017!!

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

早いものであっという間に2017年。

しかももうお正月ムードは終わりを迎え、街も地に足をつけた雰囲気に戻りつつある。

 

遅ればせながら私もやりたいことをば。

 

 

2017年は丁寧に生きる!!

毎年毎年「丁寧に」「淑やかに」と目標を立てているけど、なかなか達成できていない。

でも今年こそは、丁寧に生きたい!!!のだ!!(何度目の宣言だ)

 

以下5条の丁寧に生きる宣言!!

 

1.丁寧に勉強する。

  兎に角私はさらっと読んで分かった気になる。すぐ要約する。すぐ省略する。

それじゃダメだとわかっているので、今年は「丁寧に」勉強する。時間をしっかり割いて、丁寧に。

 

2.丁寧に食べる。

 丁寧に食べるとは、テーブルマナーではなく、食生活に気を配ること。

ロースクールでの食生活は結構雑だし、酷いものだ。お昼も夜もコンビニおにぎりやサンドイッチのみというのは常の事だし、お腹が空いてお菓子をつまりんだり、更にコーヒーを1日に何杯…。こんな食生活だから痩せるかと思いきや、「きちんと食事してないな……」と思ってしまってお家に帰ってからも何か口にしてしまい痩せる事すら出来ない。

今年はお弁当を作ったりして、のんびり食事をしたいな。

 

3.丁寧にメイクする。

 メイクは基本的には好き。コスメヲタクとは程遠いけれど、それなりにこだわりもお気に入りもあるし、アンテナも張っている。

ただ………

寝坊しておざなりになっちゃうんだよおおお。

 

日々の丁寧なメイクこそが本当に大事だというのはわかっています!!下手したら遊びの時のメイクよりずっとずっと大事かも!!

というわけで、2017年はいつものメイクこそ大事に。

 

4.丁寧にスキンケア

  この前目のCラインにシミを見つけて大ショック。

22やそこらで簡単に若くないとか言いたくないけど、もう若さに驕れる年齢ではないのでしょうね。

2017年はスキンケアも丁寧に。久しく使っていなかったスチーム美顔器や導入美容器をきちんと使っていかなきゃ。

あと、メイク落としもそろそろちゃんとしたのを使わなきゃかな〜と思って今年から薬局を卒業してRMKのクレンジングバーム使ってる。これ、とってもいい感じ!!薬局で売ってるそれとは保湿力が段違いだ。

 

5.丁寧に飲む

 これ、私にとっては超重大な目標。

流石に男性には敵わないなと思うけれど、私、かなり飲めるくちだと思う。そして飲むのが大好き!!

友達と飲む時はビールで始めてからワインはボトル人数分…っていうのがいつものパターン。

ただ、二日酔いが酷い&お金がなくなる&太る。

2017年は丁寧にお酒を飲むぞ。

おつまみなしでお酒ちゃんぽんして延々と飲む…というのはたまの機会にする。

 

こうやってみると、結局わたしがしなければならないのは早寝早起きだな。

早寝したらお酒を遅く飲むなんてこともなくなるし、夜遅くにつまみ食いもしなくなる。

早起きしたらメイクは丁寧になるであろうしお弁当も作れる。

 

結局丁寧に生きるには規則正しい生活が第1かあ〜。規則正しい生活は一番の苦手分野だ。

頑張るぞ!!経過報告もするぞ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

本のある帰り道

あ、携帯忘れた。

 それは直感に近かった。鞄を一通り探ったけれど無さそう、やっぱりね。

親との連絡や大学のこともなんとかなりそうだったけれど、1番の心配は帰り道であった。

 

通学時間が長く、座ることも出来ないので暇ほど嫌〜なものはない。普段は非生産的ながらiPhoneを弄って時間を潰しているが、今日はどうしようか。教科書でも読めば良いのだが、自習室の帰りにそんな気持ちなんて到底なれない。

 

だから、本を買って帰ろうという考えに至ったのは自然だったかもしれない。

 

所持金800円で大学近くの本屋さんに入り、文庫本コーナーをウロウロ。

ただの時間潰しで最後まで読める自信も無いから長編小説はナシ。短編か随筆かな。詩集にも惹かれる。

結局銀河鉄道の夜(宮沢賢治)と女の人差し指(向田邦子)の一騎打ちの末、後者を買い上げた。

宮沢賢治も好きだけど、「銀河鉄道の夜」は家に何冊もあるんだな…(笑)

 

 

向田邦子向田邦子

小学生の頃から憧れの彼女。彼女の本はとても久しぶりだけど、気に入ることは読む前からわかっていた。

 彼女はいつだってわたしの味方だもん。

最近はかなり落ち込むことが続きポジティブ人間の私ですら元気が出せずにいたが、彼女なら私に寄り添って笑い飛ばしてくれるような安心感があった。

 

久しぶりに買った、彼女の本。

手に取ると湧いてくる古くからの友達に再会したような高揚感。

ホームで早速本を開くと、夢中になってしまった。それはもう、ホームドアが開く瞬間も顔を上げることが出来ないくらいに。

乗り換え時間すら惜しくて、人差し指を頁の間に挟み小走りした。

 

旧友の積もる話を聞いているような気分でページをめくり、くすくす笑いを堪える。

彼女は私が生まれるずぅっと前に亡くなったけれども、その時私は確かに彼女のお家に招かれて延々相槌を打っていた。

あんなに落ち込んでいたはずなのに、「お供にキャラメルフラペチーノでも買って帰ろうかな」と楽しい事がポンと思い浮かぶ。

もう何でもいいや〜と沈んでいたけれど、ちょっとワクワクしてみようと前向きな気持ちになった。

そして久しぶりにブログを更新したくなっちゃったのだ。

 

 

 

本のある帰り道。

「本は携帯電話という呪縛から私たちを放ってくれる。」なんて言うと一周回って俗っぽいけれども、たしかに本は私を普段とはちょっぴり違う優しい世界へ連れて行ってくれた。

 

では明日からの帰り道は本を読むのか、となるとそれは多分そうじゃないんだろうな。

 

ただ、本のある帰り道は素敵だった。

とある1日の甘く美しいハイライトとして、なんだかブログに残したいくらい、素敵だったんだ。