人生はミュージカル

自戒と快楽の狭間で生きる夢見がち女による雑記

超ポジティブの私が鬱病になった話

この話、記録しておきたかったの〜〜。

 

昔から超が付くほどポジティブで、「悩みなさそう」「いつも笑顔だね」「そのポジティブ精神見習いたいわ」という言葉をイヤミとしても褒め言葉としても沢山頂いていた私。

 

が、鬱になった。

 

自分でもビックリだ〜〜アハハって言いたいところなんだけれど、当たり前ながら自覚があったし思い当たることがありまくった。

そして、根本的な原因は私自身にあったと今冷静になって思う。

 

とにかく、自分のキャラに執着しすぎていたのだ。

今まで経験したことの無いような悲しいことが沢山あったのに、くだらないプライドが邪魔をして友達に言えなかった。元気が無いことがバレたり心配されたりするのがくすぐったくて、無理をしてはしゃいでいた。

そんな一方で、1人で勉強しても自然と涙が出てくるくらいボロボロで、やるべきことに集中できない・努力ができない自分が許せずフラストレーションを溜め込んだ。

 

この自分の情けないプライドの存在に気づいた時、私は大学時代誤った自我を形成してしまったことを知った。

 

私は昔から自分のことを楽しい人間だと思っているし、そこは唯一私のお気に入りポイント。

 

ところが軽い気持ちで大学に入って、勉強ができなきゃ評価されない環境に身を置いて、楽しいだけの自分が無価値であることを悟った。

勿論周囲の人はそんな事言わないしこの悲しい悟りは誤りなのだけど、女子校の「楽しいが全て」な環境で「楽しい」を謳歌していた私は勉学が評価される場において、初めてコミュニティ内での劣等感を抱いたのだ。

 

勉強を頑張って初めて自分自身の楽しさ、面白さが評価されるのだと私は思い、賢い友人に置いていかれまいと苦手なりの付け焼き刃の勉強をしてきた。(楽しい自分にこだわり過ぎ笑)

 

それが、去年全部ダメになっちゃった。

 

「楽しい人だしやることはやる」という自分の存在がモチベーションだったのに、楽しくも面白くもない、すべき努力もできない。

私の原動力であった友人に置いていかれない!という目標ももはや遠く、苦しかった。

 

そんな中半年以上自分に起こった悲しい出来事と今の自分自身の劣等感と絶望感をなんとかなんとかなんとか誤魔化して生きていたら、これからの人生含む色んなものがいらなくなり、無気力になってしまった。

とにかく動きたくなくて、あらゆるものが馬鹿馬鹿しく無価値に思えて、学校に近づくと気分が悪くて、服屋で次の季節の服を見ると涙が出てきた(笑)この先人生が続いていくことが果てしなくて、溺れてるような気持ちだった。

 

私は若く死にたい願望はあるけれども、こんな尻すぼみで死にたいわけではない。

「やばいこのままじゃ死にかねない」

勇気を出してドキドキしながら病院にいったら、やっぱり黒だった。

 

友人に話せない私が先生に話せるわけはなく、話そうとすると胸も息もつまったが、少しだけ話したら先生は優しかった(商売上当たり前のことだけど…)。でもその時に「あ、普通の人って優しいわ」って気づいた。

 

頭ではわかっていたけど、自分の自己評価の低さ故に「こんな自分は見せられない、幻滅される」と思ってばかりだったことに気付いた。

この畏れも友人を敬愛するゆえだったんだけどね(笑)

 

まだプライドは高いので、この病気のことも色んな悲しかった出来事もほとんど話していない。けど、皆今まで通り仲良くしてくれてるし、それが答えなんだ。

 

 

最近は良い意味で諦めがついた。

何事も他人と比べずに自分のやりたいようにやる。自分のやりたいことは真摯にがんばる。

劣等感でなく、自分の内から湧き上がる情熱や悔しさを努力の原動力として大事にしたいってちゃんと思えるようになった。

 

大学時代は誤った自我を形成してしまったけれど、それ自体に後悔はないし、むしろよかったと思っている。

周りの尊敬できる友人の存在に引っ張られ、夢の登山口くらいまでは来ることが出来た。多分大学時代からこんなに柔軟に考えることが出来たら、猪突猛進で意味不明な道にたどり着いてたよ、私(笑)

多分ちょうどその無理な登山計画を矯正するタイミングが来たんだと思う。

 

素直にこうやって思えることが今凄く、嬉しいし幸せ。

ぶっちゃけ通院サボってるけど、こうやって

今幸せな気持ちで勉強したりできるならもう大丈夫なんじゃないかって思うんだよね。

 

ここで記録したらきっとまた挫けた時に読み返せる。

だから、書きたかったんだ(*^^*)