人生はミュージカル

自戒と快楽の狭間で生きる夢見がち女による雑記

川崎の殺人事件のやつ

デリケートすぎて、容易にsnsに発信していいものだとは思わないけど、友達にいうものでもなし書かずにはいられなかったから書いちゃう。


川崎の男の子殺人事件、どのニュースを見てもかわいそうという言葉しかでてこない。
重すぎる。悲しくてかわいそう以外の言葉では表せない。

中学1年生って無力だよね。
みんなが思っている以上に何も出来ない。
大人が守らなきゃ!って年でもないからこそ、危うくて、弱い存在だと思う。

たとえ同級生の異変に気付いていても、実際に助けを差し伸べるって勇気がいるよね( ;  ; )心配であっても差し伸べると自分まで闇に落ちていきそうな気持ちになるのは当然だし、身を案じて関与しなかったのはある意味冷静な判断として大事にしなきゃいけないものだとおもう。

それでもってワイドショーでは先生がもっと見ていればっていうけど、そんなの無理だ。カリキュラムをこなしつつ40人ほどいる年頃の子達をしっかり見るなんて絶対にできないよ。
実際地元の中学校であの時期にヤンキー化する子ってすごく多いだろうし、「不良なりかけ」の子みんなに十分な指導をするのは難しいと思うんだ。今回は悲しすぎる結末だったけど、高校生と連んでそのまま自分もその高校生のように成長するっていうのがパターンな気がする。今回だって後者だったら最早担任が言ってなんとかなるものじゃないもん。見抜けないよね。
不良なりかけの子に指導すべきだったっていうのは結果論でしかないよなー。
むしろ電話いっぱいしたり、家庭訪問したり、すごく面倒見がいいと思った。
世間は教師を重すぎる責任から解放すべき。もちろん教師の責任って多く求められるものであろうから、あくまで、「世間は」ね!(笑)




となると、やっぱりやっぱり、重すぎるけれど親は見てあげなきゃだめな気がする。
こういう事件って被害者の環境に潜む原因を探しがちで、それはとても、愚かだと思うけれど、子どもの最後の希望はやっぱり親だと思う。
人を殺すなんて理解できないし、どんな悲観主義者でも予測できるようなものじゃないけど、友達も先生も親も悪くなくて、犯人が唯一の原因だと思っているけど、被害者の環境について言うべきではないと思うけれど、それでもやっぱり、親以外は本当に見てあげることができないんだ。
幼児よりも先生の手は必要ないと思われ、でも自分や友達の力じゃ何も出来ない中学生。もしかすると幼い子供以上に親が見てあげなきゃいけないのかも。



まぁそんなことがいいたいんじゃなくて、ただ本当に痛ましくて泣ける。
「こんな事件はもう無いといいな」という社会から見た痛ましさじゃなくて(もちろんもうあってはいけないけれど)、故郷から離れて頑張っていた寂しい男の子が一時不良と連み、交友を絶とうとしたからこそ殺されてしまったというのがなんかすごく心にくる。働いているお母さんには相談できなかったのかもしれないね。

高校生たちが彼の心の支えになった時期があったであろうことを考えても、彼が高校生の逆鱗に触れることをしたとしても、凶悪すぎる。人間がすることじゃない。

私だったら卒業目前で友達と離れてもうまくやれないだろうし、もし不良と交友ができたら、誘われるまま万引きとかしちゃうと思う。もちろん学校に行きたくてもグループを抜けるだなんて言えないだろうな。
島を離れてから亡くなるまで彼がどれだけ頑張り、寂しい思いをしていたんだろうと考えてしまうのです。。

この手のブログ記事だと「⚪︎⚪︎くんのご冥福をお祈りします」みたいな締めが多いしそうすべきかもしれないけど、そんな熟れな追悼文句を書いていいのかってくらいシンパシー感じてる。
この世で幸福でなくちゃ意味ない。
ひとつの小さな命が、こんな方法で奪われていいわけないよね。