人生はミュージカル

自戒と快楽の狭間で生きる夢見がち女による雑記

祝福された未来

すまさに今、就活シーズン真っ最中。
スーツに身を包み、髪を固め、慣れない革のヒールで街を歩く。
夜な夜なエントリーシートや自己分析で自分の価値を確かめる。

こういう形で新入社員を選ぶのは如何ものかという議論が生まれたのはもう最近のことじゃない。
均一な就活生、形式的な審査制度、即戦力に欠ける、馬鹿げている、アメリカではこんな就活はありえない………。


関係のない大人たちはほんとよく言ってくれちゃってると思う。
私は、周りで頑張る友人を見て本当によく頑張っているとおもう。
そして敢えて言いたい、この就活は間違っていないと。

大きく分けると3点優れていると思う。
わたしが勝手に思っているだけなので、自己満かつ引用はないけど(レジュメ病)

1.均一性から見えてくる才能
2.コネ入社の排除機能
3.大学生活の充実

まず1つめ。
1.均一性から見えてくる才能
 同じ形のES、同じ容姿に合わせるからこそ才能が浮き彫りになるのではないか。
 差異というのはある程度の基準があるからこそ明確に見えるものであり、リクルートスーツも、ガチガチのESも、その基準になっているのではないか。
 同じ話をするからこそ見えてくるものが文章構成と表現力、話し方の違いなんじゃないかな。

均一性=客観的基準の作出機能

 かつて美徳された勤勉・地道の反動からか、規格外が素晴らしいという最近の風潮ほんとうに嫌い。
 わたしは勤勉でも地道でもないけど、かなりぶっ飛んだ中高生活を送ったけど、だからこそ、大学の勤勉な友達には叶わないことを知っている。

そして2つめ
2.コネ入社の排除機能
面接やESのような距離感のある選出方法は「本当の」才能を発掘できないという。
 最近はインターンシップが大流行。面接やESで審査する前に即戦力になりそうな学生を青田買いをしようという企業がとても増えた。いずれはワークショップ、インターンシップは勿論、それだけでは物足りずよく知っている身近な人材を探す必要が出てくるだろう。青田買いの青田買いの青田買い…才能のある学生をいかにはやく囲うか、が人事の大きな課題になりうる。
 紹介や推薦がふえると、それだけコネクションの価値が高騰する。コネクションがあれば、いちはやく人事に近距離で自己アピールができるからだ。
コネクションの価値の高騰は、コネクションが無い者を遠ざける。
また、青田買いの裁量が広く認められると、きっかけだけではすまない「コネ入社」の可能性も否めないのでは無いか。

形式を重んじる審査=人事の裁量濫用、コネ入社の排除機能

3.大学生活の充実
 最後に、1番大事だと思うのが、学生生活の充実。
大学とは学問、研究の場である。または「人生のモラトリアム」として自由に過ごす者もいる。在学中は他の時期では出来ないことをする絶好のチャンスである。ようは、とっても大切にしたい時間!!
一斉に就活が「解禁」され、ESの締切に追われ、短期間に沢山の面接を受け…というのは、逆に言えば4年生になるまではおもいおもいの大学生活に専念してよいということだった。
ESから面接、という画一的な審査制度において、事前の準備は必ずしも必要なものではない。素養をアピールし、才能が認められれば内定がもらえた。
 しかし、インターンシップに代表される人材発掘は「即戦力」を評価されるため、大学の勉強や遊びではなく、希望職種にあった訓練が必要になる。また、前述のようなコネクション作りに励む必要があり、その準備の有無によって、従来の審査制度よりも差が大きく開きやすくなる。差が開くということは、準備する必要があるということであり、準備する必要があるということは勉強・研究・自由に使う時間がなくなるということである。

「素養」の重視=大学生活の充実


以上3点は、
私たち大学生にとってはとてもありがたいメリットである。
よって、私は今まで通りの「就活」を支持する!!

もちろん短所もあるけどね、ノリでちょっと自己満検討ごっこを書いてみた。


就活当事者が就活を嗤うのはいいけど、なにもわかってない人に批判されたくない。
この制度、意外とみんなが思っているより機能してる。



みんな祝福された未来がほしい。
自信が持てるような、大見得切って歩けるような、そんな未来がほしい。

それはみんな一緒なんだなー。

みんな就活をバカにするけど、人生の岐路なんだからエール送ってあげようよってほんと思っちゃう。