人生はミュージカル

自戒と快楽の狭間で生きる夢見がち女による雑記

命題


命題、わかったあああ!!!!
逆・裏・対偶、やーっと、理解しました。生まれて初めて弟を尊敬。
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数学が全くできない上に高校受験を経験していないから、中学最低レベルさえきちんと知らなかった……。


何度問題を解いても、どんなに調子が良くても、命題だけは本当に難易度1でもわからなくて絶望だったんだ。

「えーなんでーー!どういうこと!」って弟を揺さぶりながら一緒に問題を解きました(笑)
なんか焦りや戸惑いを感じずにわからない!って言うのが久しぶりで、無邪気で、楽しかった。落ち着いている場合じゃないはずなんだけど、新鮮な驚きがいっぱいで(笑)

新しいことがわかるって本当はとっても楽しいし気持ちがいいものだよね。
知らないことに焦り、理解できないことに焦りの日々だから忘れてた!!

適性試験は明日。
というか10時間後には始まっています…………うっそ!!ってことは早く寝なくちゃ(T_T)

おやすみなさい!!


逆裏対偶で解くと、時間がかかるんだ〜。どの問題を頭の中で解くか、どの問題を図?を使って書くか、うまく時間配分できるといいな。



祝福された未来

すまさに今、就活シーズン真っ最中。
スーツに身を包み、髪を固め、慣れない革のヒールで街を歩く。
夜な夜なエントリーシートや自己分析で自分の価値を確かめる。

こういう形で新入社員を選ぶのは如何ものかという議論が生まれたのはもう最近のことじゃない。
均一な就活生、形式的な審査制度、即戦力に欠ける、馬鹿げている、アメリカではこんな就活はありえない………。


関係のない大人たちはほんとよく言ってくれちゃってると思う。
私は、周りで頑張る友人を見て本当によく頑張っているとおもう。
そして敢えて言いたい、この就活は間違っていないと。

大きく分けると3点優れていると思う。
わたしが勝手に思っているだけなので、自己満かつ引用はないけど(レジュメ病)

1.均一性から見えてくる才能
2.コネ入社の排除機能
3.大学生活の充実

まず1つめ。
1.均一性から見えてくる才能
 同じ形のES、同じ容姿に合わせるからこそ才能が浮き彫りになるのではないか。
 差異というのはある程度の基準があるからこそ明確に見えるものであり、リクルートスーツも、ガチガチのESも、その基準になっているのではないか。
 同じ話をするからこそ見えてくるものが文章構成と表現力、話し方の違いなんじゃないかな。

均一性=客観的基準の作出機能

 かつて美徳された勤勉・地道の反動からか、規格外が素晴らしいという最近の風潮ほんとうに嫌い。
 わたしは勤勉でも地道でもないけど、かなりぶっ飛んだ中高生活を送ったけど、だからこそ、大学の勤勉な友達には叶わないことを知っている。

そして2つめ
2.コネ入社の排除機能
面接やESのような距離感のある選出方法は「本当の」才能を発掘できないという。
 最近はインターンシップが大流行。面接やESで審査する前に即戦力になりそうな学生を青田買いをしようという企業がとても増えた。いずれはワークショップ、インターンシップは勿論、それだけでは物足りずよく知っている身近な人材を探す必要が出てくるだろう。青田買いの青田買いの青田買い…才能のある学生をいかにはやく囲うか、が人事の大きな課題になりうる。
 紹介や推薦がふえると、それだけコネクションの価値が高騰する。コネクションがあれば、いちはやく人事に近距離で自己アピールができるからだ。
コネクションの価値の高騰は、コネクションが無い者を遠ざける。
また、青田買いの裁量が広く認められると、きっかけだけではすまない「コネ入社」の可能性も否めないのでは無いか。

形式を重んじる審査=人事の裁量濫用、コネ入社の排除機能

3.大学生活の充実
 最後に、1番大事だと思うのが、学生生活の充実。
大学とは学問、研究の場である。または「人生のモラトリアム」として自由に過ごす者もいる。在学中は他の時期では出来ないことをする絶好のチャンスである。ようは、とっても大切にしたい時間!!
一斉に就活が「解禁」され、ESの締切に追われ、短期間に沢山の面接を受け…というのは、逆に言えば4年生になるまではおもいおもいの大学生活に専念してよいということだった。
ESから面接、という画一的な審査制度において、事前の準備は必ずしも必要なものではない。素養をアピールし、才能が認められれば内定がもらえた。
 しかし、インターンシップに代表される人材発掘は「即戦力」を評価されるため、大学の勉強や遊びではなく、希望職種にあった訓練が必要になる。また、前述のようなコネクション作りに励む必要があり、その準備の有無によって、従来の審査制度よりも差が大きく開きやすくなる。差が開くということは、準備する必要があるということであり、準備する必要があるということは勉強・研究・自由に使う時間がなくなるということである。

「素養」の重視=大学生活の充実


以上3点は、
私たち大学生にとってはとてもありがたいメリットである。
よって、私は今まで通りの「就活」を支持する!!

もちろん短所もあるけどね、ノリでちょっと自己満検討ごっこを書いてみた。


就活当事者が就活を嗤うのはいいけど、なにもわかってない人に批判されたくない。
この制度、意外とみんなが思っているより機能してる。



みんな祝福された未来がほしい。
自信が持てるような、大見得切って歩けるような、そんな未来がほしい。

それはみんな一緒なんだなー。

みんな就活をバカにするけど、人生の岐路なんだからエール送ってあげようよってほんと思っちゃう。

勇気100%

今までノーマークだったこの曲が突然にすきだ。
2番の「ハートが燃えているなら後悔しない」ってところ!

♪ぶつかったり傷ついたりすればいいさ
「ハートが燃えているなら」「後悔しない」♪

ぶつかったり傷ついたり、若気の至りで後悔するようなことやっちゃうけど、後悔しない。
でもただなんでも後悔しないんじゃなくて、「ハートが燃えているなら」後悔しない!!
「ハートが燃えているなら」という留保。私にはすごく大切なポイントのように思える。
ハートが燃えているからこそ後悔しない。
そして、ハートが燃えている限りは後悔しない。
大切にしなければいけないのは、なんでぶつかったり傷ついたりしたかってことなんだと思う。
情熱故に犯した過ちは後悔しなくていいんだよ!!
裏を返せば、情熱の無い失敗を正当化させちゃだめってことでもある。

そして、「後悔しない」という言い方も好き。
後悔していない、とか、後悔しなくていいではなくて、後悔したくないでもなくて、「後悔しない」。
一種の決意表明のような、そんな強さが好き。
ぶつかったり傷ついたりそれが例え自分の持つ情熱故の結果であっても、やっぱり後悔しないのって難しいよ。
でも、これまでもこれからも、自分の情熱を信じられる限りは、絶対に後悔しない!
ってことでしょ?そうだよね?(笑)


そしてタイトル。ひたすら元気出して頑張ろうよ!という曲のタイトルが勇気100%というのもすごく素敵。
元気100%でも、強気100%でもない、勇気100%。
努力することにおいて一番大事なポイントって、勇気なんだきっと。
前向きさや、向上心よりも、自分を信じる勇気、そして結果が付いてこない可能性があってもやり通す勇気。
失敗するかもしれない自分を受け入れる勇気を持つって、本当はすごく難しいことだ。

わたしは常に全力を出すことに焦がれながらも、全力を出してもダメだったら…という思いでがむしゃらになれない。
全力を出してもだめだったとき、自分をもっと嫌いになってしまいそうだからだ。
「私なら大丈夫」「頑張りたい」という気持ちよりも、「失敗したって挑戦したい」っていう勇気、もっと育てていきたいな。


今日マッサンの最終回を見ていてそれでも思ったけれど、「the life is an adventure」だもんね。
胸を叩いて冒険してみるべき!!
とくに若いうちは!!

自分の持つ輝きを信じる勇気があれば、もう怖いものなんて絶対にないはず。

いいうた〜(*^^*)




川崎の殺人事件のやつ

デリケートすぎて、容易にsnsに発信していいものだとは思わないけど、友達にいうものでもなし書かずにはいられなかったから書いちゃう。


川崎の男の子殺人事件、どのニュースを見てもかわいそうという言葉しかでてこない。
重すぎる。悲しくてかわいそう以外の言葉では表せない。

中学1年生って無力だよね。
みんなが思っている以上に何も出来ない。
大人が守らなきゃ!って年でもないからこそ、危うくて、弱い存在だと思う。

たとえ同級生の異変に気付いていても、実際に助けを差し伸べるって勇気がいるよね( ;  ; )心配であっても差し伸べると自分まで闇に落ちていきそうな気持ちになるのは当然だし、身を案じて関与しなかったのはある意味冷静な判断として大事にしなきゃいけないものだとおもう。

それでもってワイドショーでは先生がもっと見ていればっていうけど、そんなの無理だ。カリキュラムをこなしつつ40人ほどいる年頃の子達をしっかり見るなんて絶対にできないよ。
実際地元の中学校であの時期にヤンキー化する子ってすごく多いだろうし、「不良なりかけ」の子みんなに十分な指導をするのは難しいと思うんだ。今回は悲しすぎる結末だったけど、高校生と連んでそのまま自分もその高校生のように成長するっていうのがパターンな気がする。今回だって後者だったら最早担任が言ってなんとかなるものじゃないもん。見抜けないよね。
不良なりかけの子に指導すべきだったっていうのは結果論でしかないよなー。
むしろ電話いっぱいしたり、家庭訪問したり、すごく面倒見がいいと思った。
世間は教師を重すぎる責任から解放すべき。もちろん教師の責任って多く求められるものであろうから、あくまで、「世間は」ね!(笑)




となると、やっぱりやっぱり、重すぎるけれど親は見てあげなきゃだめな気がする。
こういう事件って被害者の環境に潜む原因を探しがちで、それはとても、愚かだと思うけれど、子どもの最後の希望はやっぱり親だと思う。
人を殺すなんて理解できないし、どんな悲観主義者でも予測できるようなものじゃないけど、友達も先生も親も悪くなくて、犯人が唯一の原因だと思っているけど、被害者の環境について言うべきではないと思うけれど、それでもやっぱり、親以外は本当に見てあげることができないんだ。
幼児よりも先生の手は必要ないと思われ、でも自分や友達の力じゃ何も出来ない中学生。もしかすると幼い子供以上に親が見てあげなきゃいけないのかも。



まぁそんなことがいいたいんじゃなくて、ただ本当に痛ましくて泣ける。
「こんな事件はもう無いといいな」という社会から見た痛ましさじゃなくて(もちろんもうあってはいけないけれど)、故郷から離れて頑張っていた寂しい男の子が一時不良と連み、交友を絶とうとしたからこそ殺されてしまったというのがなんかすごく心にくる。働いているお母さんには相談できなかったのかもしれないね。

高校生たちが彼の心の支えになった時期があったであろうことを考えても、彼が高校生の逆鱗に触れることをしたとしても、凶悪すぎる。人間がすることじゃない。

私だったら卒業目前で友達と離れてもうまくやれないだろうし、もし不良と交友ができたら、誘われるまま万引きとかしちゃうと思う。もちろん学校に行きたくてもグループを抜けるだなんて言えないだろうな。
島を離れてから亡くなるまで彼がどれだけ頑張り、寂しい思いをしていたんだろうと考えてしまうのです。。

この手のブログ記事だと「⚪︎⚪︎くんのご冥福をお祈りします」みたいな締めが多いしそうすべきかもしれないけど、そんな熟れな追悼文句を書いていいのかってくらいシンパシー感じてる。
この世で幸福でなくちゃ意味ない。
ひとつの小さな命が、こんな方法で奪われていいわけないよね。





ババア自称

この前の大好きな先生についての記事、何人か気に入って下さった方がいて嬉しい\(^o^)/
完全に自己満足のために書いているけど、やっぱりテンション上がっちゃう。



先日、私の大好きなアンジュルム(旧スマイレージ)の新曲発売があって、それに伴うイベントがあったよみたいなのだけど、
十代前半のメンバーを前に、20歳にもならないメンバーが自身をおばさん呼ばわりしていたのがすっごく引っかかってしまった。


私も、そして私の友達も、自分のことをおばさん、ババアと自称したり、呼ばれたりすることが沢山ある。それは3年という大学における年長者になっているから。
勿論冗談だし、楽しくやっているのだけど、自分の賞味期限の存在を強く感じちゃうのだ。20歳を過ぎそれが現実味を帯びる中で、冗談の根底に流れる本気が嫌になってきた。
だから、彼女の発言に引っかかってしまったのだ。

1年生の頃から、3年生の先輩が自分を「三婆」と卑下したり、ババアと言われているのを見るのは好きではなかった。 
中高の頃は先輩になるにつれかっこよくなり、美しくなるとされていたのに、大学に入ってからは逆。これは年齢の問題なのかな、悲しくなる。

クソフェミっぽくなるけど、やっぱり女の子に顕著だと思うんだ、この現象。
男性の恋愛対象として若い女の子が魅力的、というところからきているんだろうけど、「女をバカにしてる!」なんて今更ばかみたいな主張をしようとは思ってないよ。

ただ、自分は若くないな〜っていう気持ちが、引退兵のような気持ちにさせているところがあるって事が言いたいの!
(本題ここから!笑)

本来、「男性目線の年寄り」と「自分の可能性の上での年寄り」って違うはず。それなのに、ババアだ年寄りだって笑っているうちに、無敵な気持ちがなくなってしまっていることに最近気付いたのだ。

本当に若い時に若さを武器にできないのってすごく悲しい事だと思う。そして、すごく愚かなことだ。
これは環境のせいなんかじゃなくて、完全に自分の愚かさだ。
自分がもう若くないような気がして焦ったり、何かを諦めたり、そんなのってすごく、もったいない。バカみたいだ。

大学でも、自分をジジイだと思っていない男の子が大きな夢を語る一方で、女の子は「もう若くないし…」という筋違いな悟りが時たまあると思う。
でも、そんな悟りは勘違いだ。
私たちは若いし、これからなんだってできるし、人生はずっと続くし、自信を失ったり諦めたりすることなんて絶対にない!!

もちろん、「まず女子だけ年寄り扱いする風潮はどうなの?」というのはある程度大人になった女の子が一度は感じることだと思うけれど、正直今更どうなることでもないし、逆に男の子に負担を課してることもあるから言っても仕方ないかなと思う。

むしろその次元で反発するくらいなら、「ババアだから」と笑いつつも揺るぎない未来への自信を持ちたいし、持っているべきだと思う。

かく言う私が1番老いることが怖くて、歳をとる前に早く死にたいとばかり思っていたんだけどね(笑)

でも、本当に若いうちに未来に絶望する必要ないし、とりあえず今はがむしゃらに頑張らなきゃダメだよね。
「若くない」と挑戦をやめるなら、それは完全に言い訳でしかない。

私自身は底知れぬポジティブ精神の持ち主なんだけど、考えたことを全部このブログに書いているので、病んでいる人みたいになってる!!!(笑)

世界一かっこいい先生

わたしの中学・高校にはすごい先生がいました。
すごい、先生です。
小柄で美しいお年を召した先生ですが、怖くて厳しくて、試験が鬼のように難しくて、話の長い先生。

話す言葉のひとつひとつに揺さぶられてしまうくらいパワーがありました。
中学入学と同時に出会い、最後の授業に一頻り話し、
「いい?貴女達、世界一かっこいい女になりなさい」
と強く仰いました。
これは魔法の言葉。ある種呪いのように、何年経っても頭の中をふとよぎるのです。多分死ぬまでこの言葉から逃れられることはないでしょう。











この前、常に私たちを叱り、励まし、讃え、見守る先生に会いたくて、会ってきた。

わたし、ずっと、「世界一かっこいい女」っていうのは先生のような女性だと思ってたんだ。
久しぶりに会った先生はやっぱり美しくて、堂々としていて、かっこよかったもの。

恋人に会うかのような高揚感で講師室の扉を開けて懐かしい名前を呼ぶ。期待に頰を火照らせて先生の支度を待つ。おしゃべりしつつ懐かしい街を並んで歩く。少し照れながら向かい合って食事をする。
卒業した今は在校生の頃は口が裂けても言えなかった話も沢山できちゃう。悪事、本音、進学、成績、遅刻や寝坊などのだらしのない話。

話を聞きながら灰色のウェーブかかった髪をグシャっと細い指でかきあげる先生の仕草がかっこよくて好き。昔から。


でも、話していくうちにわかった。先生のいう世界一かっこいい女っていうのは先生のことじゃなかったんだなぁ。

先生は私たちを讃えてくれた。「若いのに勉強して、将来を考えて、素晴らしいと思う」と強く言ってくれた。
「私が若い頃は将来のことなんてあまり考えなかったわ」と。
そして、「無知だった若い頃には絶対に戻りたくない」と続けた。

ねぇ、どれだけの人が年をとってから若い自分を「無知だから戻りたくない」なんて言うことができるかな。
大抵の人が若い頃の方が頭が良かった、若い頃に戻りたい、って思うんだよ。特に女性が「若い頃に戻りたくない」なんて言える年の重ね方をするというのはすごく難しい。
もちろん、若い頃の先生が何も考えない無知な人だったわけがないんだよ。


私たちのことをずっとえらい、すごいっていう先生。
だって、先生が考えろっていったんじゃない。
先生の言葉が私たちを動かし、先生の存在が私たちを急かしたのだ。

先生は「世界一かっこいい女」が誰かなんて考えていなかったのかも。自分の胸の中にあるそれぞれの理想に近づけ追い越せという想いで私たちにお話していたんだろうな。
でも、私たちはいつの間にか先生の背中を見つめて、先生のようになりたいと、もがき続けていた。
そんな影響力を与えられるなんて、世界一かっこいい女にしかできることじゃないとおもう。



本当に楽しい時間だった。
なにがあっても自分を認めてくれる、愛してくれる存在がいるってだけで頑張れそうだ。
なにかを諦めそうになっても、世界一かっこいい女になるという言葉を思い出す限り、私は頑張ることを誓うよ。


あまりにも書きたいことがありすぎて、変な文になっちゃった。
考えたことを書くのは簡単だけど、出来事を書くのってすごく難しい。

ベイマックス

明けましておめでとうございます。今年も自己満でしかない記事を書き続けます。うふふ。

もう去年のことになるけれど、大晦日イブの日、(ややこしいけどつまり30日)、ディズニー最新作のベイマックスを見に行った。
この映画、わたし的にはすごくツボだったんだけど、内容はさておき見た人みんなの感想は「思っていたのと違う……」というものだと思う。
少年ヒロとロボットベイマックスの心温まる日常??いやいや……まさかのガンダムも真っ青の戦闘。(ガンダム見たことないけど笑)
もはやわたしは日本の広告戦略?に感動してしまった。

ベイマックス、原題は「BIGHERO6」。題名から戦隊モノ全開なのだ。
日本において戦隊モノは掃いて捨てるほどある。新しさのかけらもないコンテンツ。そしてそのイメージは、お子様向け、安っぽい、よくある……そんなものじゃないかな。しかもロボット戦隊モノときたら、「陳腐」のひとこと。
広報担当は戦隊モノのかおりは宣伝にマイナスだと考えたんだろう。完全に消した。
これってすごいよ。
内容を隠してディズニーブランドだけでお客さんを呼び込むことにしたんだ。実際大成功だと思った。多くの人は戦隊ムービーだと知っていたら、たとえ内容は素晴らしくても見なくなってしまうと思う。
「アナ雪のディズニーの最新作だよ!きっとアナ雪みたいに話題になるだろう作品だからとりあえずみてね!」
とキャラクターだけちょこっと出したcmを作って流す。「泣ける映画」の予感を感じさせる感動要素だけをチラ見せ。
大抵の人はこれで見ちゃうんだもん。
いかに映画の内容を面白く見せるかというcmが全てじゃないんだなぁ。
「とりあえず、騙されたと思って見てみて!」という戦略があるんだ。
なんか見た後感動してしまったので思わず投稿。


中身の話をば。

まず舞台。
サンフランソーキョーは、とにかくわたしの大好きな2つの街のコラボレーションで胸が高鳴った。
交差点にあるキャスのカフェは実際のサンフランシスコでもカフェだった気がする。

………
と思って調べたけど、意外と似てなかった!映画で見たときは、あそこのお店だ!って思ったんだけどな。雰囲気は似てるでしょ?(まぁサンフランシスコの建物はどこも同じような雰囲気だけど)
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ちなみにここは有名なお店で、アイリッシュコーヒーが飲めるところ!
ブエナヴィスタカフェ。(画像はwebで検索した)

サンフランシスコの再現率がすごくて、サンフランシスコを知る人はテンション上がっちゃうはず。

あと登場人物は、寒い時もあったけど(笑)すごく好きになれた。やっぱり頭は良くても普通の人たちなので、他のディズニーキャラクターと比べるとインパクトは薄いけれど、これはこれでリアルでアリ!!
超能力でも運動神経でもなく、自分の知性を武器に戦うというのがすごく素敵だった。科学ヲタクがヒーローになるというのは安易な発想ではあるけれど実際は珍しいもん!!

とはなるけれど、すごく丁寧な描写に心が揺れました。ピクサーらしさ全開。ギャグもたくさん詰まっていて、もし感動できなかったとしても「お金の無駄だった」と思うことはないとおもう。(控えめなオススメ)
わたしは泣いたけど(笑)全然面白くないって言っている友達もいたからな〜。


ひとつ自慢させて!わたし最初から仮面の男の正体わかったんだ〜!
途中で妹に「この人だと思う!」なんて耳打ちしたものだから、本当に当たっちゃって顰蹙を買った(笑)
ディズニーレベルならかなり予想が当たる!……って子供用だから当たり前か!

魔法にかけられてでも王子とパトリックデンプシーの婚約者が結ばれるところまで予想が当たったし!(自慢のレベルが低い……………)